和風とは。
100年木造住宅が終わり、次のコンペに取り掛かる前に色々とまとめようと思う。
この木造住宅案で軸となったのは
・夢で体験した和風住宅の視点
・高台寺の雰囲気
この2つにとても影響受けたと思っている。
まず、夢で見た和風建築。
この夢を見たのは、もう随分と前になる。
多分、同時期に堀口捨巳の八勝館御幸の間や西沢 立衛のウィークエンドハンスを見て、柱と木造住宅の関係を考えていたからだと思う。
地面とスラブは人一人分、間が空いていて柱が並べられている。
イメージとしてはウィークエンドハウスに近い。
ただ違うのは、柱の並び方が四方ではなく菱形だった。
四角い建物に対して菱形に並べられた柱があることで、当然、視界は斜めに映える。
僕は畳敷きの居間に座っていたがその視線の先には紅葉がきれいな木々が見えており、
実に感動した。
この雰囲気を今回の木造住宅に持ち込もうとした。
そして、高台寺で得た体験。
ちょうど、そのお寺では百鬼夜行の特集をしていた。
その妖怪たちには、口や耳、手がないものがいるのに対し、目がないものはいなかった。
そういえばこんな話を聞いたことがある。
仏像をつくるとき最後に開眼という作業があり、最後に眼を入れて魂を入れるということらしい。
妖怪に眼が必ずついているのも、それが元となっているのではないかと思った。
のっぺらぼうもいるが、あれは妖怪というより人を化かす動物が化けるとそうなるというのだから、まさに仏作って魂入れずという感じか?
と、まぁ、日本人は眼に対して特別な思いがあったに違いないという考えが生まれた。
ただ、和風建築は眼より音、気配を重要視しているように思える。
障子、木のきしむ音、庭園の砂利の音、虫の声。
目で見える部分で重要なのは構造とそのディティール、素材と関係性であり、そこから派生してくるものは大体見えないもの、見えにくいもの。
匂いもそうで、通気性が良いならご飯の匂いや浴室の匂いを感じられるし、それが人が確かに居るという安心感につながる。
要は、みえないものを思考の中で形にする、その媒体が和風建築なんだと。
妖怪も仏も見えないが形にすることで見えるようにする。
人の目で見えるようにし、思考の中で具体化させるために。
もうコンペには提出したが、作業自体は2日だったため内容は薄く、和風建築に対して現時点での解にすぎない。
それに考えさえもまだまとまりきってないので、駄目々々なんだけれどこれは自分の中で肥やし続ける。